矢澤のつぶやき日記

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第1回 郡山市湖南町の視察研修5月11日(水)を振り返って

 
 猪苗代湖観光推進連絡協議会は平成28年5月11日、役員と会員のバス会社、町議会議員、自然保護活動グループ、歴史研究家による第1回の視察研修を開催しました。
 野口英世記念館湖水側駐車場10時30分出発最後の一人が来ない。会津若松市湊町観光協会会長は本日の研修を忘れていたようで、自宅から直接湖南へ向かうことになった。 長治観光からチャーターしたマイクロバスに参加者16名を乗せて小雨まじりの曇天の中、一路湖南方面に向かう。
 11時に湖南町横沢地区の郵便局前で福島民報新聞社郡山支社の神野記者と、ぐるっと湖南伝承会会長の大内さんの二人と合流する。大内さんはバスに乗り、首に携帯スピーカー、頭にヘッドフォンマイク、いつもの帽子を被り、独特のシワガレ声でガイドを始める。5分程移動すると舘の五輪塚に到着、横沢城主のお墓、乳地蔵、お札神社のガイドが始まると普通に見える草木が蘇って我々に何かを呼び掛けてくるように見える。それぞれに古の夢物語があり、聞いて飽きない。
 バスは移動して、中野地区の東光寺に到着すると中地の大仏と樹齢800年と云われる大ケヤキがあったが、東北最大の坐像大仏を見ることは出来なかった。天候は回復の兆しもなく小雨が降っている。この後車窓から、湖南の交通の追分の宿駅として賑わった三 代宿とご本陣を眺める。今では家も建て替えられて昔を偲ぶことはできませんが、「秀吉が宿営したところ・・・・」と大内さんの淡々としたガイドで古が脳裏に蘇ります。 会津藩主、越後の新発田、村上藩主、そして幕府の役人もここに宿泊し、休憩の場所としている。
 そして車窓の右に小さい小山の三代の京塚を眺める。京は経のことで、経典が埋められてあるらしい。一種の流行になり追善供養と現世のご利益を目的として、経文を筒に入れて埋めたようだ。車は湖南公民館に到着、トイレ休憩所としてお願いしていた館長さんも車で駆け付けて下さったのでお会いすることができ、お礼のあいさつをしました。隣は郡山市湖南行政センターになっており、所長の三津間氏に表敬訪問をする。話がはずみ、センターを出ると、皆さんは既に乗車しており、次の福良地区へ向う。福良本陣跡、白虎隊初陣の地を車窓から眺め大内さんのガイドが続きます。車は布引高原方面に向かい、路は風車を作る時に道路を整備拡張したらしく、舗装になっていて車のすれ違いも出来る、上り坂でヘアピンカーブもあり運転は要注意、途中に全国でも珍しい国天 然記念物の指定のかつらの巨木がある。この木にも民話があり、大内さんは出発時から変わりなく淡々と赤津の大かつらのガイドを続ける。小雨で車の窓も曇って外が見えにくくなってきた。ここから1キロくらい先に進むと、風車がようやく見えてくる。標高1,000mの高原で磐梯山や猪苗代湖が一望できるのだが、あいにく雲で覆われ何も見えない。駐車場には仮設トイレがあり、ぐるっと湖南伝承会で設置した案内看板がある。8月下旬頃、風力発電とひまわりとコスモスの高原祭りが開催される。駐車場が狭いようなので、「祭りの時は大丈夫ですか」と大内さんに質問すると大丈夫と云う。しかし、心配して「シャトルバスを走らせればどうですか」と話したところ「それはいいですね」これをビジネスチャンスにできればと・・・発電機は高さ100m羽の直径は71m、33基で1年間で作られる電力量は年間で約12,500万kw約35,000世帯分の消費量に相当するらしい。大内さんのガイドは続く。
 天候は回復する様子もなく、曇天小雨の中で、全員で歴史に残る記念写真を撮る、この辺はクマが出没する所だそうで注意の看板が所々に見える。次は湖南町観光協会長の宗像さんが経営する旅館ひさごに向かう。ここで昼食とミーティングを行うことになっている。到着すると玄関で奥さまが出迎えてくれました。奥に入るとテーブルには弁当とジュースが並べられてあり、宗像さんは用意した湖南町の案内チラシを配り、湖南町の宣伝をひとこと述べる。弁当は味ごはん、山菜の天ぷら、地元の「曲がり竹の子汁」、「名物かりんとう」、ボリュームいっぱいの弁当です。時間も過ぎてお腹が空いていたようで皆さん完食したようだ。食事後のミーティングは今後の 会の進め方について、企画委員の設立、定例会の開催などについて意見交換を行った。 名物かりんとう菓子が美味しいので近くの販売店を紹介して頂き、袋にいっぱい買い込んだ人もいる。一枚食べるとまた食べたくなる湖南名物かりんとう菓子。天候は小雨が続く中、午後の部がスタート。バスに乗車して湖南の景勝地、湖へ向かう。冬になると地吹雪で前が見えなくなる地吹雪街道と呼ばれるところを通る。この道は湖に向かって真っすぐに伸びている県道なのだ。昔大正天皇が船でこの地に着いたことで、県道になったようである。。浜の名前は青松浜とあるが以前は浜は賓であったようだ。今日、晴れていれば水澄む猪苗代湖、雄大な磐梯山、吾妻連峰、飯豊山を一望できるのだが残念、しかし観光している時はいつも晴れではない、曇天、雨風の観光もある。そこで大内さんのガイドが発揮される。淡々とした説明で情景が脳裏に浮かぶ。湖南港のすぐ近くに10数メートルの断崖絶壁が見える。ここが「座頭ころばし七曲り」と呼ばれ座頭市が突き落とされたところと云われる場所、農婦に助けられ、九死に一生を得るが足が不自由になり、ここで暮らすことになった。その後、風の便りで訪ねてきた女房のおたねと農家の手伝いをして暮らすが、座頭市死後おたねは会津若松へ移り、座頭市のお墓は会津若松の井上浄光寺にあると云う。映画、テレビでは見ているが遊覧 船のりば舟津港の眼の前で起きた話であった。猪苗代町翁島港から舟津港間の遊覧船不 定期航路があるがこれまで船内のガイドにはない。
 そろそろ視察研修も終わりに近づく、約5時間の名所旧跡を巡り、横沢で大内さんとお別れする。会員からは大内さんへ感謝の拍手が送られた。
 今回のルートの中で観光素材となる名所旧跡には、物語が多く含まれており、ぐるっと湖南伝承会によって継承されている。この地に来るまでは公共交通のアクセスが不便な反面、隠れた観光地としての価値がある。景勝地は道幅が狭いため大型観光バス駐車場の確保が必要である。会津と郡山を船で結ぶルートで長浜から舟津港の航路を活性化させ地域振興を図ることが必要である。布引高原祭り等のイベント会場へシャトルバスの運行すれば参加者の利便性の向上と増員が図られる。ウォーキングによる名所旧跡めぐりを小型観光バスで循環することも必要。ボランティアガイドはぐるっと湖南伝承会で現在3名で対応している。今後の観光客が増えることを想定して、ボランティアガイドの養成支援も必要である。さらに、解りやすく記載された案内地図はあるが、移動する場合の誘導看板、地名の表示等も整備が遅れている。海外からの訪日観光客の受け入れを含めて表記を検討する必要がある。観光素材としての景観、名所旧跡、お祭り等は十分保有している。さらに、県内外からの教育旅行誘致事業として、過疎化による休遊 農地を利用した体験型農園の構築及び宿泊体験や野外活動ができる少年湖畔の村の積極的な活用も望まれる。
 若者は世界中の情報を、どこにいても端末で取得できる。その情報を求めて未来志向を試みるが地元で実現できる可能性は少ない。若者は町を出て働き過疎化が進み、高齢化の町となる。簡単に解決できる問題ではない。しかし、その地域が自然以外に何も無くてもストーリーと話題とおもてなしがあれば、人はそこに足を運び、リピーターとなり、そこに観光が生まれる。2015年の訪日外国人旅行消費額は3兆4,771億円、自動車、化学製品、鉄鋼製品、電子部品に次ぐ消費額である。「明日の日本を支える観光ビジョン」において、政府は訪日外国人旅行者数を「2020年までに4000万人、2030年までに6000万人」とする新たな目標を決定しました。
 猪苗代湖観光推進連絡協議会はこれからも観光振興に尽力して地域が豊かになるよう取り組んで参ります。
 
 
猪苗代湖観光推進連絡協議会 会長 矢澤 幸志

翁島自然観察会

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